kb84tkhrのブログ

何を書こうか考え中です あ、あと組織とは関係ないってやつです 個人的なやつ

『「集合と位相」をなぜ学ぶのか』

集合は数学の基礎、みたいはことはよく本に書いてあるし
さかのぼっていくと集合に行き着く、みたいな話もわかります
でも、実際のところどういうふうに基礎となっているのかっていうと
あんまりイメージがわいてませんでした

そこになんともソソるタイトルの本が出たので購入

そのかわりに本書では「集合と位相」の基本的アイデアが生まれてきた経緯、そして集合や位相の考え方が数理科学における必須の知識とされるに至った経緯といった、歴史的な事情の説明にもっとも入れています。

実は数学より数学史が好きなんじゃないかという自分にはツボにはまること請け合い

本論のスタートはフーリエ級数の話
フーリエ級数の収束条件を調べることから、積分微分逆関数としての積分から
コーシーの積分へ、さらにリーマンの積分へと発展していきます
リーマンの積分の定義によっていろいろな関数の積分可能性を研究することが
可能になったのですが・・・

まとめると、19世紀の後半、関数の積分可能性の研究を通じて、区間上の関数が不連続になったり極値をとったりといった例外的な振る舞いをする点の分布を調べるという課題が生まれたのですが、あくまで関数を研究対象としてきた従来の解析学には、それに答える手段がなかったことがわかります。区間上の実数の分布について語る方法なしでは先に進めない状況になっていました。時代が新しい数学を必要としていたのです。

集合論創始者カントールが登場したのは、そんな時代でした。 

カントールは、リーマンが残した三角級数の一意性問題への回答を探していくうちに
実数上の点の分布について考察を深め、実数が可算でないことを発見します

そうすると、点集合としてみた場合、区間と点列とは本当に別物か、というのは、まったく自然な問題です。
カントールは1874年に、「0 と 1 の間の実数のすべてを数列 x1, x2, ... の形で取り尽くすことはできない」ことを発見します。

さらに研究を進めたカントールは、線分上の点も平面上の点も濃度が変わらないと
いうことを発見し、次元が意味を失ってしまうのではと悩みました

この悩みへの答えとして位相が導入されます

こうして、平面と直線の違いは確立されました。平面と直線のあいだには全単射が存在し、濃度という観点からいえば、両者は同じサイズなのですが、位相的性質という観点にたち、写像の連続性まで考えに入れるとき、平面と直線の区別は回復されます。これはまさにデデキントが指摘したとおりです。次元の概念がその根拠を失うというカントールの心配は、杞憂だったのです。

デデキントもいい仕事をする

一方ボレルは測度の概念を導入しました

ボレルは区間の幅・線分の長さの概念を拡張した、点集合の「測度」の概念と、長さを測れる集合、すなわち「可測集合」の概念を導入します。

測度については勉強してないんですが
あっちこっちで見かけるのできっと大事なことなんだろうな、とは思ってました
今は意味や意義をなんとなくイメージできた気がしています

そしてルベーグが、測度の概念を積分に適用します
積分可能性を発端とした実数・集合の研究が、測度論を経由して積分に戻ってくるのは必然なんでしょうか

アンリ・ルベーグは、ボレルの提唱した測度の概念を積分の理論に応用しました。1902年の学位論文において、ルベーグは次のようにボレルの測度の定義を再考します。

ボレルによる可測集合の定義が、ルベーグやその後の数学者によって変化しながら
一般性を獲得していく過程も面白いところ

ルベーグ自身は積分の理論を従来どおり直線や平面における有界な領域上の関数について展開したのですが、その後の数学の集合論化の流れの中で、ルベーグ積分の理論は測度空間と呼ばれる抽象的なセッティングを土台として展開されてゆきます。
(略)
この(a)〜(d)は、ボレルとルベーグがそれぞれの立場で考察した、実数の可測集合とその測度の理論から、積分の理論の構築に必要な最小限度の特徴を抜き出してきたものといえます。ここではもはやXは直線や平面と行った幾何学的な対象である必要はなく、まったく一般的・抽象的な集合でよいのだということに注目してください。

代数学ぽい

そして確率論にまで話は及びます

測度の抽象的な理論と、それにもとづく積分の理論は、確率の数学的理論の基礎づけに最適の仕組みであることが、1930年ごろ、ロシアの数学者コルモゴロフによって明らかにされます。

確率空間とは

これはとりもなおさず、全体集合の測度が1であるような測度空間を確率空間と呼ぶということです。17世紀以来、確率の計算に用いられてきた加法法則が、コルモゴロフのもとで、図形の大きさの計量に由来する測度の概念と、思いがけず結びついたのです。

すばらしい

あとブルバキによる数学の再構築

ブルバキは理論の出発点において、考察の対象の振舞いを規定するルールを公理として明示します。考察の対象には、それが明示された公理をみたすことだけを要求し、その対象が具体的個別的に何者であるのかは問いません。そのように一般的・抽象的に考えられた数学的対象のことを、ブルバキは《構造》と呼びます。ブルバキの『数学原論』においては、公理は構造を決めるためのもの、いわば構造の定義であり、「証明不要の自明な真理」という意味を、まったくもちません。この点において、伝統的な公理の解釈とは、大きく異なっているわけです。

コルモゴロフの確率空間の定義で確率とはなんぞやみたいな疑問は考えずにすむようになったみたいに

そしてまとめ

ブルバキ数学原論』のうちで最初に出版されたのは集合論の巻でした。個々の要素よりも要素の集まりのなす構造に注目し、つねに一般から特殊へ、抽象から具体へという方向に進むブルバキの数学を学ぶためには、公理によって構造が指定される手前の、単なる要素の集まり、すなわち集合の扱いに、最初に習熟する必要がありました。

もっとも、現代の数学において集合論が共通の言語になったのは、ブルバキひとりの責任というわけではありません。19世紀から20世紀までの数学の流れの中で、一貫して、論理的な精密さの要求が高くなり、扱う対象もどんどん多様に一般的になっていったのですから、一般的・抽象的な対象を精密に記述できる数学の共通言語が求められるのは、いわば必然であったでしょう。ブルバキはその最後の仕上げをしたというわけです。

カントールが実数を調べてて集合論に、っていう話は何度か読みましたが
ここまで濃密に説明されているのは初めて
積分・実数・集合・無限・位相・測度・確率といったさまざまな分野の
発達の過程がとても手際よく関連付けられ、かつ読みやすくまとめられています

おみごと、というほかはないという気持ち

著者のTwitterをフォローしてて、これはよいものに違いないと思ってましたが
予想以上によいものでした

こういう、周辺の事情がわかってくるとその意義が明確になってくるし
モノによってはそういうことだけわかってれば十分ということもありそう
ちゃんと勉強するにしても呑み込みが早くなると思うし

これは読むべき